一気に読んでしまった。部分部分で右すれすれと思われる箇所も在ったが、基本的には同意できた。
日本人には旧来、その地理的要因から形成されたと思われる崇高な「情緒」「武士道精神」「形」の心があったという。それは弱者へのいたわり、自然を慈しむ心、あうんの呼吸、思いやりなどといった形で、この国の支配者階級のみならず貧者まで隅々に行き渡っていたいわば国民性であったという。勤勉で思いやりがあり質素で芯が強い。日本とはそんな誇り貴き国であった。そして日本人とはそんな民族であった。
しかし明治開国以降自主的に、また太平洋戦争の敗戦によってアメリカにより一気に推し進められてきた「合理主義」「グローバリズム」。それによって「誇り」「情緒」はほとんど駆逐されてしまった。その結果、経済的発展の代償としてか社会の荒廃が横たわっている。瀕死であるという。
筆者は数学者であり、さらば「合理主義」に代表される論理的思考をそのまま支持しそうなものだが、氏の場合紆余曲折はあったにせよ、そうでない結論に達したという。すなわち論理的思考の大元に在るべきこそは「情緒」なのだという。それがなぜか?というところは今少しわかりにくかったが、情緒を大切にすべきと言うことは大いに同意。また真のエリートに求められる要件についても同意。しかし、そうならば私のような市井のものには何ができるのか?という消化不良感はのこった。それでも自分や子供たちには出来る限りの情緒教育をして行きたいと再確認した気がする。
結構お薦めの本。