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海辺のカフカ

Isao


ササクラです。

先日一気に読み終えました。この苦々しい後味はなんだろう? だけど同時に感じる爽快感は何なのだろう?解釈は読み手に委ねられるのだろうけど、村上春樹氏の意図したイメージを私が共有できたか自信がもてない。それがきっと飲み下せないなにかやり残したような感覚にさせるのだろうと思う。丁度「2001年宇宙の旅」を初めて見終えた時と似た衝撃と言えば良いだろうか?とにかくこれらの前で、自分が表現者の端くれとして酷く恥ずかしいものに思えて悲しくなる。

主人公の15歳の僕は、自分のその頃とは全く次元の異なる大人びた理解力で自分の為すべき事を為そうと行動を始める。そして、もう一人の主人公ナカタさんは、子供の頃に遭遇したある事件により知的障害を被り、老年となった今、猫と話が出来ると言う特殊技能を活かし細く幸せな日々を過ごしていた。この二つのストーリーは現実を超えたまま同時進行し徐々に接近してゆく。
15歳の僕は思秋期特有のセンチメンタリズムな響きとエロティックな情景を交錯させながら内に外に自己形成を進めてゆく。一方ナカタさんの方も自己の持つ不思議な力によって、ジョニー・ウォーカーやカーネル・サンダーズを登場させながら全体としてユーモラスにマイペースにストーリーを進めてゆく。
しかし、最後まで二つのストーリーは直接の接点のないままエンディングを迎える。そのどちらも悲しい死によって周りのものを成長させるが、ストーリー自体の真意を探ろうとすると非常に難解・・・。おそらく深追いしてはいけないような気もする。頻繁に出てくる「メタファー」という言葉が、それが村上氏の真意なのかもしれない。

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