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撮影枚数

Isao

撮影枚数は多い方が得をした気がする。当然だね。そうだろう。
でも、それは結果論であるべき。イースターエッグではセットプランの場合、撮影枚数は無制限。これに至るのも紆余曲折があったが、グレーな部分がどうにも気持ち悪くて結局こうなっている。

お客様が私たちに撮影を依頼するのは、「家族や友達では撮れないものを期待しているから」と言って良いのではないだろうか?ならば家族や友達にしか撮れない写真もあるだろう。となればセオリー通りに考えて、我々にしか撮れないものって何だろう?これが結構難しい。そう、だから我々は打ち合わせを行っているんだね。

笹倉が独立したときに一番大切に思ったこと。それは自分にしか撮れないもので喜んでもらいたいと言うこと。しかもそれは十分なコンセンサスの上で。だから本当に大変だった。一枚一枚が命削るような、薄氷踏むような、魂を注ぎ込むような。とにかくそんな感じで撮影していた。撮影後の疲労なんて半端じゃない。ぐったりして動けないほど。だからその頃ホテルのロビーや、会館近くの喫茶店でくたばっている名も無き私の姿を見た人は結構な数でいるだろう。その頃、私が平均して撮っていた枚数は大体300枚くらい。精一杯魂込めていると一枚シャッター切るまでにどうしても時間がかかる。だから当時の私は説明にブレがなかった。「枚数ではない。密度です。」
しかし今はどうか?撮影の平均枚数は、400枚を超えることのほうが多い。中には数を切らなければ写らなかっただろうと思われるものもある。しかし、それ以上に無駄撃ちも多い。「確実に写し留めた」と言う感触が希薄なまま時間が過ぎてゆく。氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーのようなまずさを感じながら・・。結果を見ればきちんと撮れているものはもちろん多く問題ないのだが、自分として濃度の低い撮影をしているという後ろめたさから逃れられない。昔だって500を越えるときもあった。でもそれは内容が多かったからの話。打率は今と比較にならない。今のようにバシャバシャと撮りまくった結果単に撮影の枚数が多いのとは訳が違う。

何故このようなことに?それはデジタルボケだろう。デジタルの大きなメリットは、撮影結果をその場で確認できることにある。これは涙が出るほど嬉しい機能だ。ぶれていたりボケていたり露出が悪かったりすれば、その場でフォローできる。それに新郎新婦が目をつむってしまったりというシーンもわかる。しかし、それはデジタルのメリット。フィルムではない。なのにいつの間にかそのペースに巻き込まれている自分がここにいた。デジタルの撮り方とフィルムの撮り方は全然違うものなのに。頭ではわかっていたのに!フィルムで撮ると言うことは、それは重いことなのだ。尊いものなのだ。猛省。

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