窓の外を見ると、今朝からの小雨は雪に変わっていました。急ぎではない外回りの予定は変更して、アルバムのアイテム撮りを行いました。

自慢のアルバムたち
写真は、プリントしてこそのもの。
どれほどデジタルフォトのクオリティが上がっても、その思いは変わりません。むしろ、以前とは比べものにならないほど良い写真を残せるようになった今だからこそ、もっと良いプリントやアルバムを作れるはずなのに、データのままで終わらせてしまう人が増えていることを、少し危惧しています。











昭和生まれの私にとって、写真のアルバムは、少し不思議で、それでいて大切なお気に入りのアイテムでした。
もちろん、家族のアルバムです。
生まれたばかりの自分。ベビーカーに乗っている自分。幼稚園の園服を着た自分。近所の友達と夏祭りに出かけたときの、何気ない自分。
赤ちゃんの頃の記憶はもちろんありません。それ以外にも、覚えているような、いないような、微かな記憶がたくさんあります。
自分の写真なのに、自分とは思えない顔をした赤ちゃん。ぼんやりとだけど、どこか覚えているような気がする自分。
撮影したのは、おそらく母です。聞いてみると、それは紛れもなく私で、そのほとんどは特別な出来事を撮ったものではない、何気ない写真だったそうです。
ネガらしきものを見た記憶もあります。でも、子供だった私には、その大切さも意味も分かりませんでした。残念なことに、それらの所在はとうの昔に分からなくなっています。
それでも、アルバムは今もしっかりと手元にあります。
写真は少し色褪せました。でも、きっとこのアルバムは、私より長く残ることでしょう。
私の子供も、それを見ることができます。いつか孫ができたなら、孫にも見せてあげることができます。
では、これをデータの状態で残すことを考えてみると、意外に難しいことに気付きます。
仕事柄、データがどれほど繊細で、脆く、そして一度失えば取り返しのつかないものかを知っているからです。
もちろん、データにはデータの素晴らしさがあります。適切に扱えば色褪せることもなく、時間も場所も関係なく、世界中の誰とでも共有できます。
けれど、そこには実体がありません。
撮影する枚数ばかりが増えていく写真。
私は、その中から本当に大切なものだけを選び、残りは積極的に削除しています。それでも、子供の頃から趣味で撮り続け、溜まりに溜まったネガやポジのフィルムの総量を、とっくに越えてしまいました。
これを、どうすればいいのでしょう。
何の役に立つのでしょう。
正解はないと思います。
今のところ私が出している答えは、定期的に写真を整理し、本当に大切なものだけを残して、プリントし、アルバムにすることです。
その数は、少ないほど良いのかもしれません。
でも、ある限界を超えるなら、少し多いくらいの方が良いとも思います。
ただ、そのちょうどいいラインがどこにあるのか、私自身、まだ見つけられていません。
イースターエッグでは、主にイタリアやアメリカの製本会社、そして日本の製本作家さんにお願いして、オリジナルのアルバムを作っています。
プリントは自社で行います。
ネガからなら、手焼きの写真を。
デジタルデータからなら、耐久性の確かなペーパーを選びます。
写真を撮ることは、思い出をつくることではありません。
そこにある時間を、後からもう一度見ることができるようにすることです。
だからこそ、撮った写真をどう残すのかも、撮影することと同じくらい大切なのだと思います。
皆さんもぜひ、一度考えてみてください。
もし気になるアルバムがありましたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。


