原田琺瑯さんの琺瑯看板
昭和41年生まれの私にとって、琺瑯看板は特別な存在ではありませんでした。
子どもの頃には、商店の軒先や街角のあちらこちらで見かける、ごく当たり前の風景の一部。木の電柱と同じように、そこにあるのが自然なものでした。
ところが、気が付けばその姿は少しずつ街から消えていきました。おそらく二十歳を迎える頃には、ほとんど見かけなくなっていたように思います。
そして今では、意識して探さなければ出会えない存在になりました。
ル・クルーゼと琺瑯
少し話は逸れます。
私のささやかな趣味のひとつに料理があります。
趣味ですから、当然ながら道具にもこだわります。煮込み料理の時によく登場するのが、ル・クルーゼやストウブの琺瑯鍋です。
琺瑯という素材は不思議です。
鉄をベースにしながら、表面はガラス質で覆われている。金属の丈夫さと、ガラスの美しさを併せ持っています。
熱をゆっくり蓄え、ゆっくり伝える。そのおかげで、腕前以上の料理を作らせてくれることもしばしばです。
しかもIHにも対応し、最新の設備とも相性が良い。
どこか懐かしい見た目なのに、実はとても合理的な素材なのです。
そんな琺瑯に、私は昔から不思議な魅力を感じていました。
看板を増やしたい
その頃、柿の木坂写真工房では別の課題を抱えていました。
私たちのスタジオは駅前や繁華街ではなく、住宅地の中にあります。
落ち着いた環境は大きな魅力ですが、その一方で初めてお越しになるお客様から、
「本当にこの道で合っていますか?」
「途中で少し不安になりました」
というお声をいただくことが少なくありませんでした。
もちろん、アイアン製の看板や、ねこのバス停を模した案内看板も設置しています。
それでも迷われる方をゼロにはできません。
お客様が撮影前に不安な気持ちになるのは、私たちとしても避けたいことです。
そこで、より分かりやすい案内看板を増設することにしました。
ただし、ここで問題があります。
スタジオのある場所は第一種低層住居専用地域。
大きな常設看板を設置することはできません。
さらに毎日の開店と閉店に合わせて、出し入れができるものでなければならない。
条件は決して簡単ではありませんでした。
探して、探して
そうと決まれば善は急げです。
看板製作を手掛ける方々に次々と問い合わせをしました。
しかし、なかなか「これだ」と思えるものに出会えません。
気が付けば二か月近くが過ぎていました。
そんな時に見つけたのが、原田琺瑯さんでした。
価格も納期も様々。
何が正解なのか分からない中で、私が選んだのは細かな指示を出し過ぎないことでした。
デザインの方向性だけお伝えし、あとはお任せする。
そんなお願いをして待つこと約二週間。
届いたのは完成品ではなく、製作途中の写真の数々でした。
これが実に嬉しかった。
琺瑯が焼かれ、文字が入り、一枚の看板になっていく過程が手に取るように伝わってきます。
頭の中には、子どもの頃に見た「ボンカレー」や「オロナミンC」の看板の記憶が蘇ります。
そして同時に、自分たちの仕事のことも考えました。
アルバム制作や写真の仕上げなど、時間の掛かる仕事では、お客様は完成を楽しみに待ってくださっています。
そんな時、製作途中の様子をお見せすることは、安心にも喜びにも繋がるのではないか。
思いがけず、自分たちの仕事を見つめ直すきっかけにもなりました。



















新しい仲間
発送の連絡から二日後。
ついに届きました。
念願だった琺瑯看板です。
約十五年前、六本木に事務所を構えた頃のことを思い出します。
当時の看板は、裏に磁石の付いた小さな黒板にチョークで店名を書き、鉄の扉へ貼り付けただけのものでした。
その小さな看板は、今でも柿の木坂写真工房の片隅に残っています。
あまりにも自然にそこにあるので、私たち自身が存在を忘れそうになるほどです。
今回の琺瑯看板も、ねこのバス停の看板も、アイアンワークの看板も、私たちにとっては単なる案内板ではありません。
お客様をお迎えする大切な「顔」です。
流行に左右されることなく、良いものを丁寧に使い続ける。
写真も、アルバムも、そして看板も同じです。
これから先も、この看板と一緒に多くのお客様をお迎えしていきたいと思います。




