富山の墓前にて

昨年の秋に祖母が亡くなり、初盆の墓参りを兼ねて富山へ来ています。

お墓参りは昨日済ませました。フェーン現象の影響で、富山とは思えないほどの猛暑。照りつける日差しの中を歩いて墓地へ向かうと、そこには昔からずっとそうしていたかのように、何食わぬ顔でお墓が建っていました。

墓石に刻まれた名前を眺めていると、祖父母はもちろん、その上の代、そのまた上の代へと視線が移っていきます。中には名前だけしか知らない人もいれば、まったく顔も知らないご先祖様もいます。

それなのに不思議なもので、そこに刻まれた名前を見ていると、どこか懐かしいような、穏やかな気持ちになるのです。

ヒーリングという言葉が近いのかもしれません。猛烈な暑さの中にいることさえ忘れ、しばらく墓石を眺めていました。

ふと気づけば、富山にはもう私が直接知る「笹倉」姓の親族は一人もいなくなっていました。

祖母が亡くなったことで、一つの時代が静かに幕を閉じたのだと思います。

けれど墓石に刻まれた名前は、何十年、何百年という時間を超えてそこに残り続けています。私たち一人ひとりの人生は限られたものですが、その足跡はこうして家族の歴史の中に積み重なっていくのでしょう。

人のクロノログというものは、きっとこうして淡々と書き留められていくのだと思います。

私たちはそのほんの一頁を生きているに過ぎません。しかし、その一頁もまた、いつか誰かが振り返る家族の歴史の一部になるのでしょう。

ところで、少し前まで富山の隣に婦中町という町がありました。

そこには「笹倉」という地区があり、親戚や年配の方々から聞く様々な話をつなぎ合わせるうちに、きっとそこが我が家のルーツなのだろう、と私はずっと思っていました。

その婦中町も、最近になって富山市と合併しました。

笹倉地区は今どうなっているのだろう。

そんなことが少し気になり、昨日の朝、足を運んでみました。

結果から言えば、そこは昔と変わらず笹倉でした。

もちろん、以前より住宅は増え、道路も整備され、少しずつ都市化は進んでいます。それでもどこかに残る、地方の市街地特有のゆったりとした空気は変わっていませんでした。

自分の名字と同じ地名の看板を眺めながら歩いていると、不思議な気持ちになります。

ここが本当に我が家の出所なのかどうか、その確証はありません。

けれど、もしそうだとしたら、何代も前の誰かが見ていた風景の延長線上に、自分も立っていることになります。

昨日お参りした墓石もそうですが、土地もまた、人が生きた時間を静かに記録し続けているのかもしれません。

人が生まれ、暮らし、去っていく。

その営みとは関係なく、町は町としてそこにあり続ける。

そしてこれからも、笹倉の町は笹倉の町として、淡々と時を刻み続けていくのでしょう。

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