LeicaとCarl Zeiss 夢の共演
1990年代の中頃、妻が子供を身籠もった頃のことです。
「子供が生まれたら、夫婦二人だけで自由に出掛けることも、そうそう出来なくなるだろう」
そんなことを考え、それならば今のうちに二人で出来ることをたくさんしようと、共通の趣味だった小旅行に明け暮れていた時期がありました。
当時の私は、CONTAXとCarl Zeissこそ、自分であると思うほど、このカメラシステムに入れ込んでいました。
しかし、そこに至るまでには、少々長い寄り道があります。そして、思いもよらない展開も。

いつかは Canon New F-1、遂にその日が。
その一年ほど前。
多趣味とも下手の横好きとも言えるほど、趣味に放蕩を繰り返す性格にもかかわらず、たった1つ変わらない趣味。それが写真でした。
そろそろ本格的なカメラが欲しい。ようやくそのための資金も貯まり、
「Canon New F-1に、レンズは85mm、28mm、135mm。もし思ったより値引いてくれたら、小さなスピードライトも欲しいな」
そんなことを考えながら、意気揚々とヨドバシカメラへ向かいました。
ところが、2時間ほど経った頃、私が手にしていたのはCanon New F-1ではありませんでした。
EOS-1とEF28-70mm F2.8L USM。
おまけにサービスしてもらったPLフィルターを手に、店を出ていたのです。
自分でも、何が起こったのかよく分かりません。
Canon New F-1 AEファインダー。
1984年のロサンゼルスオリンピックの映像で、数多のカメラマンたちの手にあるそのカメラが、とても輝いて見えました。
それ以来、10年弱恋い焦がれていたカメラです。
それが、ほんの僅かな時間の間に、いわば「ぽっと出」のAF一眼レフに、その座を譲ってしまった。
理由は単純でした。
その間に、AFの性能が飛躍的に進歩していたのです。

AFはおもちゃだと思っていた
ミノルタから初めて本格的なAF一眼レフが登場した頃、私も興味を持ってヨドバシへ見に行きました。
確かに便利そうではある。
しかし、フォーカスは遅い。精度も今ひとつ。ジコジコと動く音もする。外装もどこかおもちゃっぽい。
そして何より、交換レンズの作りが安っぽく見えました。
「AFはおもちゃだ」
いつの間にか、そう思い込んでいたのです。

当時の私が持っていたのは、Canon AE-1 Programと50mm、それにΣの80-200mmズーム。
もともとは鉄道写真が好きな、いわゆる「鉄ちゃん」でしたから、広角レンズにはそれほど興味もありませんでした。
いつかはNew F-1。
そう思って貯金をしていたわけです。
私は昔から熱しやすく冷めやすいところがあります。
オーディオコンポに、当時としてはまだまだ珍しかったパソコン。写真を取り込むためのスキャナー、プリンター。
今では考えられないほど低性能なのに、驚くほど高価だった機械たちです。
ソフトも一太郎にLotus 1-2-3、データベースには桐。
免許を取ったら36回払いでMR2を買ってしまう。
流行が進めばランドクルーザー80まで。
そんな具合です。
New F-1への憧れは決して消えてはいませんでしたが、優先順位はいつも後ろでした。
そして、そうこうしているうちにEOS-1が発売されていたのです。

EOS-1という「未来」
ヨドバシの店頭では、EOS-1を眺めることさえしませんでした。
いきなりカウンターへ行き、
「New F-1をお願いします」
と、価格交渉を始めたくらいです。
当時はまだNew F-1とEOSシリーズが併売されていました。
EOSという名前は知っていました。
しかし、実物を手にしたことは一度もありません。
そもそもAF機に興味がなかったのです。
「AFなど、おもちゃだ」
そう思っていたのですから。
ところが、その時の店員さんが、
「EOS-1もお勧めですよ。これからは、こちらです」
と持ってきた。
もし、この一言がなかったら。
今の私は、いったいどうなっていたのでしょう。
半ば嫌々ながらEOS-1を手にしました。
「ん? 結構、剛性感があるな。でも、なんだか丸っこい。あちらこちらプラスチックだし……」
そんなことを思いながら、50mm F1.4を付けてもらい、ファインダーを覗きました。
そして、シャッター半押し。
ほとんど瞬間でした。
無音に近い動作で、ピシッとピントが合う。
近いところ、遠いところ。
当時、自分が考えられる限りの「ピント合わせが難しそうなもの」を狙ってみても、自分で行うマニュアルフォーカスより速い。
そして、同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に正確なのではないか。
そこで初めて、思いました。
新しいテクノロジーは、ある閾値を超えると、それまでのものを一気に駆逐してしまうのだ。
CDがレコードを駆逐していったように。
もちろん、その時点ではAF一眼レフの歴史は始まったばかりでした。
そして、もう一つ問題がありました。
今までのレンズ資産が使えなくなる。
学生時代から10年近く使ってきたレンズです。
決して高価なものではありませんでしたが、愛着はありました。
兄弟のようなAE-1 Programとともに残して、使い分けるのか。
「ところで、Nikonはどうなんですか?」
店員さんに聞くと、Nikonはマウントを変えていないので、古くからのニッコールレンズのほぼすべてが使えるという。
このあたり、Canonはドライです。
ユーザーフレンドリーではない。
もっとも、AFカメラにマニュアルフォーカスのレンズを付ける意味があるのか、とも思いました。
冷静なふりをしながら、New F-1とEOS-1を交互に持ち、何度も空シャッターを切りました。
そして、これからの撮影を想像しました。
結局、初めての「プロ向け機材」として、EOS-1を受け入れることになったのです。
決定打になったのは、EF28-70mm F2.8L USMでした。
いかにも重そう。いかにも凄そう。
ファインダーを覗いても、これにはやられました。
単焦点F1.4のような明るさとは比べようもありません。
それでも、それまで何度か手を出しては、「ダメだ、こりゃ……」と手放してきたリーズナブルなズームレンズとは、明らかに違う。
過去のズームレンズたちに刻まれたトラウマ。
その呪縛から、ようやく解放されたような気持ちでした。
そして、EOS-1 N

……と、ここまで書いておいて、まだ今回の記事の本題に入りません。
かなり長い前置きです。
EOS-1を買ってから、フィルムの消費量は徐々に増えていきました。
AE-1 Programとレンズたちは、悩んだ末に手放しました。
そしてユーザー登録のようなものを済ませ、EOS-1を手に入れたことに悦に入っていたある日。
Canonから郵便物が届きました。
– EOS-1 N発売のご案内。
誰も悪くありません。
情弱だった自分が悪いのです。
それでも。
「これこそ未来のカメラだ」と思って手にした、その一ヶ月もしないうちに、もう新型が出る。
どうしようもなく、置いてきぼりにされたような気持ちになりました。
「これなら、New F-1にしておけばよかった」
そんな思いまで湧いてきます。
もちろん、新しいものが古くなることくらい分かっています。
私自身、新しもの好きです。
どんなものでも、遅かれ早かれ古くなる。
それでも、一度漂い始めた虚脱感は、どうしようもありませんでした。
誰かのせいに出来れば、まだ楽だったのでしょう。
しかし、悪いのは自分です。
心が少しずつ、カメラから離れていくのが分かりました。
カメラ相手に、こんな感覚を持ったのは初めてでした。
買って間もないのに、もう幸せではなくなってしまったのです。
Carl Zeissとの出会い
そして、ややあって。
私は立ち直りました。
いや、正確には、別のカメラに乗り換えたことで立ち直ったのです。
ピカピカのEOS-1とレンズを持って、フジヤカメラへ向かいました。
そこで下取り交換の相手として手にしたのが、
CONTAX RTS III。
そして、Vario-Sonnar 28-85mm F3.3-4 T*。
でした。
自分とは、生涯縁がないだろうと思っていたCONTAXです。
そして、Carl Zeiss。
ズームです。
……とはいえ、これは素敵なカメラでした。
外見は機械仕掛けのカメラ然としているのに、中身はエレクトロニクス満載。
そして、何よりCarl Zeissのレンズです。
Carl Zeissについては、ずっと考えないようにしてきた時期がありました。
しかし、アサヒカメラや日本カメラなどで、そのレンズについての蘊蓄を何度も目にしていました。
単純な解像力だけにこだわるのではなく、コントラスト再現を重視する設計思想。
MTFグラフを公開する姿勢。
そして、ヌケと反射防止を、とてつもないレベルで両立させると言われたT*コーティング。
一度、そこに興味を持ってしまったら、もう終わりです。
EOSシリーズの交換レンズのために残していた貯金を、ほとんどすべて使いました。
伝説のPlanar 85mm F1.4 T*。
Distagon 25mm F2.8 T*。
Planar 50mm F1.4 T*。
そして、これはもう間違いなく沼入りでした。
Planar 135mm F2 T*。
Distagon 35mm F1.4 T*。
Distagon 21mm f2.8 T*。
CONTAX RX。
CONTAX AX。
CONTAX S2。
CONTAX T2。
最終的にはCONTAX645システムまでも、採り入れてゆきました。もっとも、これはプロになった後の話ですが。
この様に、次々とCarl Zeissのレンズを追いかけました。
もちろん、プラシーボ効果がゼロだったとは言いません。
しかし、それでも。
どのレンズも、それまで自分が出会ったどんなレンズとも違う、美しい絵を描いてくれました。
時には、その個性が強すぎて「悪目立ち」することさえありました。
それも含めて、好きだったのです。
EOSショックから立ち直るためには、これほどのカウンターが必要だった。
今になって思えば、そんな気がします。でも、この時期が写真を撮っている時が一番楽しいと思えた時間だったように思います。
そして、この頃からでしょうか。
私は少しずつ、「プロカメラマン」としての独立を意識するようになりました。
もしあの時、素直にNew F-1を買っていたら。
私の人生は、いったいどうなっていたのでしょう。

LeicaにCarl Zeissを
それから、約15年。
その間には、数え切れないほど大きな出来事がありました。
そうでもないけれど、人生の節目になった出来事もありました。
その話は、また別の機会にするとして。
今、私はLeicaのカメラにCarl Zeissのレンズを装着して撮影する機会が、少しずつ増えています。
もちろん、今回のCarl Zeissは、あの頃のCONTAX用レンズではありません。
Cosinaが製作する、M型Leica用のCarl Zeissです。
CONTAXが存在していた頃、
「カメラはLeica、レンズはZeiss」
という言葉がありました。
それぞれの分野で、それぞれが一番良い。
そんな意味合いだったのでしょう。
これを一つの組み合わせで実現するレンズとして、Hologonという存在もありました。
ただ、あまりにも特殊です。
一般的な組み合わせとは言えません。
それが今では、いくつもの選択肢として、目の前に並べられるようになりました。
Leica純正レンズの、凄まじい写り。
それに勝るとも劣らないCarl Zeiss。
そして何より、私にとっては思い入れのあるCarl Zeissです。
東西ドイツ時代の分断。
その後の困難な時代。
統一後には、容赦のない市場主義。時代の波に翻弄され続けたCarl Zeiss。
時代に翻弄されながら、それでも名前を残してきた。
そう考えると、おこがましい話ですが、どこか自分に似ているような気がしてきます。
だから私は、今でもCarl Zeiss派なのかもしれません。
LeicaにCarl Zeiss。
私にとっては、単なる「夢の共演」ではありません。
若い頃に憧れ、手に入れ、失望し、そしてまた巡り合ったものたちが、何十年という時間を経て、今ようやく一つの場所に並んでいる。
そう考えると、ファインダーを覗くたびに、少しだけ不思議な気持ちになるのです。



